遠藤周作 著『沈黙』を読んで…
原作の『沈黙』を買ったものの、なかなかまとまった時間がなく、約半年が過ぎました。(寝かせすぎ…。)
それが、2017年8月初めに京都旅行に出かけたので、その移動中にやっと読む時間ができたのです。
子どもも小学校4年生になり、電車でも相手をしていなくても自分で過ごせるようになり、やっと「読書する時間」が持てるようになった!とうれしかったです。
恥ずかしながら、私は今まで遠藤周作先生(以下、「遠藤先生」と呼びたいのでそう呼ばせてください)のことも知らなかったし、著作も読んだことはありませんでした。
まず、『沈黙』を読み始めて、最初思ったのは、「この話、ノンフィクション?」ということ。(『沈黙』のあらすじは様々なところに既に情報があるので、ここでは省略いたします。)
小説の中では、史実とフィクションが混ざり合って、その時代にまるでいるような感覚になります。
そして、ロドリゴが、山中に隠れたり放浪するシーンはアドベンチャーのようにわくわくもします。
ですが、だんだんとロドリゴが追い詰めれていく様を読み進めるとページをめくるたび、「えっ、そんな。」「まさか!」と驚きの連続です。
この小説を読む私の表情がコロコロ変わるので、電車の向かいの席に座っていた子どもが面白がって写真を撮ったくらいですからw。
読了した後は、胸に重たいものがのしかかった感じがして、それを取り除くために無性にこの物語の背景や隠れキリシタンについて知りたくなりました。
それにしても、遠藤先生が亡くなったは1996年9月29日、その時私は23歳。
遠藤先生のご存命の時に著作に触れていたら…と後悔が怒涛のように押し寄せました。
高校生の頃はよく新潮文庫を読んでいたのになぜ気づかなかったのか…。
(うちは貧乏家だったけど、文庫本だけは買ってもらえたので。)
その後、関連書籍をいろいろと読み漁ることになります。
でも、まだこのときもDVDが発売される前でしたし、映画を見る心の準備はできていませんでした。
つづく。